湘南藤沢徳洲会病院 看護部 Recruit Site

ただ目の前の命を救うために。

佐藤 哲也

看護師・主任 / 1994年中途入職 / ER所属

“ありがとう”なんていらない

その誠実で飾り気のない人柄で、多くの看護師から「あの人が頑張っているから私も頑張れる」と慕われる佐藤。決して多弁ではないが、言葉の一つひとつに嘘がない。
看護師の仕事のやりがいについて問うたときには、こう返ってきた。

「ありがとうという感謝の言葉が励みになるナースは多いと思いますが、私は少し違います。自分の存在は覚えていてもらえなくてもいい。ERにいたことすら覚えていない、その時の痛み、苦痛も覚えていない。自分は縁の下の力持ちになりたいんです」

佐藤にとっての“ER”とは、すべての患者様を受け入れて、初期診療をERで行い、入院などが必要な場合には症状に合わせて各診療科に引き継いでいく存在。いわゆる北米型のERだ。
まさしくフリーアクセス。湘南藤沢徳洲会病院のERは佐藤の理想に近い。

「24時間365日、どんな患者様も受け入れる。それがERの望ましい姿だと思っています。軽症・重症、救急車・Walk-inの患者様まで断らずにすべて診るのが本当に難しいんです。リスクもありますから。しかし、地域の人たちの期待に答えるために、我々は絶対に断らない。自分で限界を作りたくないんです」

ファーストタッチのできる看護師

20歳で今の病院の前身である茅ヶ崎徳洲会総合病院に助手として入職し、中央材料部で「スリッパ洗いから始めた」という佐藤。働きながら准看、正看の学校に通った。一時、他の病院で働いていたこともあったが、先輩看護師に誘われERの看護師として戻ってくることになった。

当時の病院のERは目が回るほど忙しかった。限られたスペースにストレッチャーが所狭しと行き交い、次々と救急患者が運ばれてくる。当時は年間3,000~4,000台の救急車が駆け込んできていた(現在は8,000台を超える)。
「何がなんだか分からず、最初は先輩の足を引っ張らないようにするだけで精一杯でした。無我夢中で働き、少しでも時間を見つけては講習会に行ったり、残って勉強をしました」

たくさんの症例をみて学び、資格も取った。
そんな中で芽生えてきたのが、どんな患者も診ることができる看護師、ファーストタッチのできる看護師でありたい、という思いだった。
「その方が何を訴えているかに耳を傾け、疾患だけではなく、主訴から看護を始めなければならないと教わったんです」
そのスタンスは今も変わらない。医療が専門化しつつあるからこそ、何でも診ることのできるゼネラリストでなければならないと自分で自分に課している。

災害医療活動から地域へ

「苦しんでいる人をみると、いてもたってもいられなくなる」という佐藤は、TMAT(災害医療救援グループ)にも所属。新潟県中越沖地震から被災地支援に参加し、ハイチ大地震や東日本大震災のときにも現地に飛んだ。

「困っている人を何とかしてあげたい。トイレ掃除でも何でも。駆けつけて何かしてあげたい。
被災地で救援活動に当たっていると私たちに目が向きですが、そのとき頑張ってくれたのは病院に残ってくれた人たち。現地に派遣される自分たちを支えて残ってくれた人達の踏ん張りこそが賞賛されるべき」と語る。
この経験は、外傷、災害の勉強のきっかけにもなり、地域の方向けの医療講演活動にもつながっている。

これからも佐藤の思いは変わらない。
「ここに徳洲会の病院があってよかった、湘南藤沢徳洲会病院のERはいいね─そんな風に地域の皆さんに思っていただけたら。そんな信頼関係を築いていきたいんです」

表記された配属先、役職等は2016年10月現在のものです

佐藤 哲也Tetsuya Sato

看護師・主任 / 1994年中途入職 / ER所属
プロボクサー時代、「体を壊す前にちゃんと仕事に就け」というトレーナーの言葉に従い引退。縁のあった湘南藤沢徳洲会病院の看護師に誘われ入職する。「自分は物を売ったり、作ったりする仕事より、こういう仕事が向いていた。人の役に立つ仕事がしたいと思っていたので、この道を選んでよかったと思います」

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