湘南藤沢徳洲会病院 看護部 Recruit Site

地域医療と後輩への熱い想いを胸に

久保 健一

看護部・主任 / 2001年中途入職 / 手術室所属

無言の“ありがとう”のために

「格好いいから」。
それが、久保が自ら手術室勤務を志望した理由だった。高い専門性が求められ、オペという限られた時間での真剣勝負に挑むプロフェッショナル。そんなイメージに憧れたのだ。キャリア10年を超える今も、その思いに変わりはない。

「患者様から直接“ありがとう”と言われることはありません。ただ、患者様が無事に手術室から出て行く姿そのものが、無言の“ありがとう”だと思っています。その瞬間が手術室勤務の看護師にとって一番の喜びですね」

仕事は楽ではない。24時間、呼ばれればいつでも手術室に入る準備と覚悟が求められる。常にドクターの考えの先を読んで対応するという気苦労もある。だが、久保は辛いと感じることはないという。拠り所にしているのは、地域の医療を守るという誇りだ。

「夜中でも手術が受けられる病院が地元にあるということは、地域の皆さんにとって心強いことだと思う。その安心を守るプロとしての責任が、私のモチベーション」
医療人としての使命感と、湘南の地に暮らすものとしての地元愛とが、久保の中にある。

命を預かる重みを知る

鹿児島出身の久保が23歳で上京し、湘南に住むことに決めた理由は、大好きなサーフィンを楽しむためだった。そして「自転車で海に行ける場所に暮らしたかった」と湘南藤沢徳洲会病院に入職し、憧れの手術室勤務になる。
だが、それからしばらくの時代を久保は「辛かった」と振り返る。

「手術室の仕事は、学校の知識が通用しない世界。先輩に習ってOJTで覚えるしかありません。ところが私は、勉強はしないし、遅刻はするし、仕事中に上の空になるし、まるでダメでした」
プリセプター、つまり“師匠”から仕事中に怒られたことは数知れず。そんな新人時代だった。

そんな久保に大きな転機が訪れる。同時期に通っていた専門学校を卒業し、国家資格を取得した後、“師匠”から学生指導の仕事を命じられたのである。

「学生を指導することを通じ、人の命を預かる仕事の重みというものを改めて痛感しました。このままじゃいけない、本気で仕事と向き合わなくては、と意識が変わったんです」
立場が人を変えることはよくある。久保は、まさにそれだった。久保ならきっと変われるはずだと信じて大役を任せた“師匠”の慧眼だった。
こんなふうに人の可能性を引き出す環境が、湘南藤沢徳洲会病院にはある。

人を育てる喜びと責任

今、久保は手術室の主任として、後輩の教育・育成に力を入れている。
「本当はもっとオペに立ち会いたいのですが」と言いながらも、人を育てる仕事に大きなやりがいを感じているところだ。

かつての久保がそうだったように、覚えるべき知識の多さに苦しむ新人もいれば、ドクターとの関わり方に悩む後輩もいる。そんな若手ナースたちに久保は手術室の仕事のやりがいを説き、地域医療を守るプロとしての誇りと喜びを教えている。

手術室の小窓からこっそり中をのぞき込んで、気になる“教え子”の仕事ぶりを確認する久保。
「できなかったオペができるようになっている姿を見るのが本当に嬉しいんです」と、日焼けした顔をくしゃくしゃにする。

鹿児島県人、つまり薩摩隼人は無骨で照れ屋とされる。久保も、シャイな男だ。
しかし、秘めた想いは熱く、口にはしないが、たくさんの愛を注いでいる。
海と、地元と、そして後輩たちに。

表記された配属先、役職等は2014年12月現在のものです

久保 健一Kenichi Kubo

看護部・主任 / 2001年中途入職 / 手術室所属
小学生の頃に11歳年上の姉を病気で亡くす。病院で献身的に姉を支えてくれた看護師たちの姿を見て、自分も将来は同じ仕事を目指そうと決心。高校卒業時の、母の「今は男でも看護師になれるよ」という言葉も背中を押した。地元・鹿児島で勤務後、当病院に入職。趣味は20歳で始めたサーフィンで、今も週に一度は海に出る。オンとオフの切り替えに、最高のひとときだ。

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